同和教育って、必要なの?

私の長年の疑問を聞いて下さい。
それは「同和教育って、必要なの?」ということです。

差別はいけない、それは分かります。
差別をなくそう、それも分かります。

でも、同和教育って何なのでしょうか。
知りもしない差別を教えることは、差別をなくすことに繋がるのでしょうか。

私の中には、「同和問題は何もせず数十年経てば無くなるのではないか」という思いがあります。
先祖の職業等に関する差別は、人の移動が簡単になった現代において、意味をなさなくなってきているのではないか、と思うのです。

だって、私は4代前が何をしていた人なのか知りません。
どこに住んでいた人なのかすら知りません。

そんな状態なのに、江戸時代の祖先の職業で差別されるなんてことがあるというのが、よくわからないのです。

調べてみたら、現在は同和教育という言葉を使わず、人権教育という言葉を使うことも多いようです。
言葉が変わっただけでなく、内容が変わっていれば、この記事の内容は必要ないことになります。

差別されていた人の子どもや孫たちが、差別されていたということを忘れられれば、同和問題はなくなるのではないでしょうか。

違うかなぁ。甘いのかなぁ。
でも、何も知らなかった子どもにわざわざ教えて差別の下地を作ったり、差別される側に分類される子どもたちを明確にして差別構造を作ったりするのは変じゃないかと思うのです。

あなたは、どう思いますか?
意見、感想、反論、などなど、どんなことでも下さいな。